共同の課題とは?

アドラー流子育て

親と子どもとの間に境界を引き、課題を分離する という考え方は、なんだか他人行儀で冷たいと感じる方が多いようです。

実、、課題は分けただけではなく、親と子の「共同の課題」にすることができます。

ただし、どちらかが困っているからと言って、自動的に「共同の課題」にできるわけではありません。

そのためには「手続き」が必要であり、「共同の課題にしても良い」という合意を取り付けなければなりません。

わかりやすく、子どもの宿題を例に取り、考えてみましょう。

前提として、子どもの宿題は子どもの課題ですので、基本的には親が口出しすべきことではありません。

子ども「この問題、わかんなーい!」
(宿題が進まず頭を抱えている様子)

親「あら、そうなの。宿題がわからなくて困っているのね」
(課題はわけたまま。でも宿題に取り組んでいるあなたをちゃんと見ているよ、という態度)

子ども「ねえ、お母さん、手伝って! ここ教えて!」
(共同の課題にしてほしいという依頼)

親「でも、宿題って、あなたがやるものじゃないかしら? もう少し、がんばってみたら?」
(依頼を断る)

子ども「うーん・・・こうかなぁ? 違うかなぁ?」
(子どもは子どもの課題に取り組んでいる)

親「さて、そろそろ寝ようかな」
(親は親の課題に取り組んでいる)

子ども「お母さん待って。やっぱりわからないから、手伝ってほしいの」
(もう一度、共同の課題の依頼をしている)

親「そう。じゃあ、ちょっと見てみようか。わからないとこはどこ?
  そこだけ一緒に考えてみようか」
(依頼を一部引き受ける=合意)

親と子(一緒にやってみる)(共同の課題に取り組む)

子「あっ、なるほど!」

親「ここがわかったら、この先はあなた一人できっと解けると思うけど、どう?」
(解くのは親ではなく子どもであり、課題の最終的な責任は子どもにもたせる)

子「うん、あとは自分でやってみる! ありがとう」

やりとりの背後にある「共同の課題にするための手順」が伝わりましたでしょうか?

共同の課題が成立するには、

・依頼があること(勝手に課題に踏み込まない)

・依頼は断ることができる

・依頼はすべて引き受けなくても、一部分を引き受けることもできる

・あくまでも解決するのは本人であり、最終的な責任は本人がもつこと

などの条件や、引き受ける上でのポイントがあります。特に子育ての場合は、最終的な課題解決を子どもに体験してもらうのがよいでしょう。

この手順と条件は、親の方から、子どもに共同の課題にしたいというお願いをする場合も同じです。

子どもの側にも断る権利がありますし、合意が成立しなければ共同の課題にはできない、ということです。

また、一度断られたからといって、感情的になる必要はありません。日を改めて再度お願いをすることもできます。

このような親子関係に違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私にはこれがとても風通しの良い、真に対等である関係と感じます。

小さいうちから、このような関係をつくっていくと、子どもが思春期になっても、親が何かをしてくれることが当然だという態度もなく、してほしいことがあれば言葉でお願いができる関係でいられます。

子どもが成人を迎えたとき、どんな人になっていてほしいですか? 

そのとき、どんな親子関係が築けていたら、親も子も、幸せでしょうか?

アドラー流の子育ての目標は、「自立」と「調和です。

あなたの親としての関わりは、その方向に向いているでしょうか? 課題を分離したり、共同の課題を設けるプロセスは、「自立」と「調和」に向かっていると思えませんか?

今回は、例として宿題を挙げましたが、友だちとケンカして落ち込んでいる、学校に行きたくないと言っている、忘れ物が多い、塾に行くかどうか、進路をどうするか等の意志決定、子どもの年齢によっても悩みは様々ですが、親の対応の仕方は基本的には同じです。

親が一貫してこのように関わることで、子どもは自分の課題から逃げず、自分で乗り越える力を身につけていけるようになるでしょう。

課題をわけ、子どもに任せていくことは、子どもの解決する力を親が信じていなければできないことです。

親が先回りして答えを教えようとしたり、子どもが失敗しないようにお膳立てしてあげたりすることが、子どもの「自分で解決できる力」を奪ってしまうことを忘れてはいけません。

子どもは、失敗することも含め、責任をもつことや、自分で解決することを体験から学んでいるのです。

そのために、課題を分離するのです。課題の分離は、決して冷たいわけでも、放置しているわけでもありません。

課題の分離、共同の課題、そのために必要な親の態度、これらがセットでなれば、本来の力を発揮できません。

日常で起きている出来事のすべてを「課題の分離」の視点で見てみると、絡み合っていた糸がほぐれるような感覚で、起きている出来事を捉え直すことができ、親のやるべきことと、やるべきではないことが明確になるはずです。

そして、日常のいたるところに、【自分で課題に取り組む力】を育むポイントがあることに気がつきます。

子どもの「自分でできる!」という気持ち、それは他でもない「自己肯定感」へとつながります。

自己肯定感とは、「褒められることで育つもの」ではありません。

課題は分離して終わりなのではなく、話し合いの上で「共同の課題」にし、なおかつ子どもが「自分で取り組みやすくサポートすること」が親の関わり方であることがお分かりいただけたでしょうか。

アドラー心理学は、元々教育や子育ての分野で効果があるものですが、職場で部下を育てるときや、パートナーシップにおいても、当てはめて考えることができます。

対人関係における問題を「課題の分離」の考え方だけで解決しようとしても難しいものがあります。

大事なことなのでもう一度言います。課題を分けただけでは、ただの「放任」でしかありません。

そのためには、アドラー心理学を体系的に学び、身につけて日々実践し、相手とのよりよい関係をつくっていくこと。

あなたのお酒の問題を考えるとき、問題の本質がお酒そのものではなく、お酒を手に取ってしまう原因があなたの対人関係(子育てを含め)であるのであれば、きっと大いに役に立つ考え方となるはずです。